スピリチュアル・ブームのもたらす救済とは何か?

救いを求めて

研究テーマとしてのスピリチュアルと救い

博論からずっと、宗教における救済と暴力ということを考えています。

スピリチュアルカウンセラーの出会いで摂食障害が治った、気持ちが楽になった、というのをどう捉えるか。

子宮系も「救われる」ためのものだし。

上記に挙げたいくつかのツイートから、MizuhoH 氏にとって、宗教における救済と暴力や、俗にいうスピリチュアルや子宮系によってもたらされる救いというものが、研究テーマの一つになっているのであろうと、私は推測いたしました。

因みに、最初に挙げたツイートの博論とはこちらであろうと推測しています。

身体性の解体と過剰–オウム真理教の「魅力」とは何か : 2007|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

ご参考まで

また、宗教研究 85巻 「現代日本における宗教と暴力」と題した文章では、「オウム真理教とスピリチュアル・ブーム」「男性と女性」とを対比させ、オウム真理教が暴力事件を起こしたのに対し、どのようにして、スピリチュアル・ブームが暴力を回避しているのかを、簡潔に考察していらっしゃいます。ごくごく短い文章ですので、是非ご一読をお勧めします。(リンク先はPDF書類です)

『宗教』5巻4輯(2012年)現代日本における宗教と暴力 ー オウム真理教と「すぴこん」 ー

そこに、どのような救いがあるというのか

「育児放棄」や「奔放なセックス」につながる考えが救いになる女性もいるわけです。

これだけでは、あまりに突拍子もなくて何のことだかさっぱりわからない方が殆どなのではないでしょうか?

そこで、私の知っている僅かな具体例を挙げてみます。

子宮委員長の影響で性に目覚め、風俗の仕事に就き、その事が配偶者に知られることとなり、離婚した。しかし、今までに逝った事がなく、子供連れで性感マッサージの様なものを受けたが思いは果たされることがなかった、という救い。
 
目の前で知らない男に胸を揉まれる母親を見る子供の気持ちよりも、「奔放なセックス」による母親の救いの方が大切なときもあるのかも知れない(知らんけど…)。
 
定期的に合宿を行っているらしいので、「奔放なセックス」による救済に興味のある方は御勝手にどうぞ…

女性中心のスピ市場とは、本当の弱者が必要とする「救い」や「癒し」とはちょっと違うんです。

まあ、ぶっちゃけましたね。

しかし、上記で私が挙げたような例はスピリチュアル・ブームの中のほんの一部分にしか過ぎないということは付記しておきます。

「救われた人がいるから」理論

違和感はあるけど、批判はしない。なぜなら、子宮系も彼女たちを救っているからだ。

どんなに自分が「下らない」と思うものであっても、そこにこだわる人やそこである種の「救い」を得ている人もいる

スピリチュアルで救われる人や助かる人もわたしのフォロワーにはいる。その人もまとめてあなたは侮辱した。

MizuhoH 氏によると、スピリチュアルや子宮系に違和感を感じつつも、それらが「救い」をもたらしている以上批判はしないし、方方からスピリチュアルや子宮系へ向けられる批判には反発を感じるといったところでしょうか。
しかし、「救われた人がいるから」ということなら、ベクトルの向きは違えど、医師や医療従事者に救われた人は、それこそ数多くいるわけです。
今回のテーマから外れるので一つ一つ例示はしませんが、私の観測範囲の中に限っても、MizuhoH 氏から医療従事者に向けられた数々の暴言の中には目を覆いたくなるものが多々あります。

医療に対して無条件で信頼を寄せるのは常識的に無理なんですよ。

というインフルエンザワクチンに関しての MizuhoH 氏のツイートから始まった論争では以下のように相手を恫喝しています。

医療がスピリチュアルと極めて相性が良いのはあなたのような人がいるからなんでしょうね。今回のやりとり、月末の市民講座の資料にくわえさせてもらいますね。

これは明らかに社会学とご自身の研究テーマを恫喝と嫌がらせ為の便利な道具として使用していますね。
もし、こちらの市民講座を受講された方がいらっしゃいましたら、是非、どのように「今回のやりとりが月末の市民講座の資料」として使われたのかを、なんらかの方法で報告していただけたら幸いです。

仮説:劣等感の補償

MizuhoH 氏が研究対象としている以上、スピリチュアル・ブームを生業とする人々やブームに傾倒する人々へ氏が中立的な態度を取ろうとするのは理解できます。しかし、スピリチュアル・ブームや反科学・反医療に対して懐疑的・対立的な人々に向けられる氏の常軌を逸した敵意は何なのでしょうか?
前回のアーティクルでは、ひょっとすると MizuhoH 氏は自己評価が極端に低いのではないか?という仮説をたてました。
前回の仮説に次の疑問を付け加えたいと思います。
自身の自己評価の低さを、スピリチュアル・ブームに乗った女性達を敢て庇うことによって得られる有用感で「補償」してはいないか?

この仮説は考えすぎでしょうか?

ご自身の研究テーマを恫喝と嫌がらせの便利な道具として利用するぐらいですから、コンプレックスの補償として利用したとしても不自然さはないと、私には思えました。