スピリチュアル・ブームのもたらす救済とは何か?
救いを求めて
研究テーマとしてのスピリチュアルと救い
もちろん全て拝読しています(笑)わたしは博論からずっと、宗教における救済と暴力ということを考えています。林郁夫の手記がずっと引っかかっていて。また、暴力と「悪」は異なる話だと思ますが、そこは社会学プロパーとしては踏み込む領域ではないようにも思います。ありがとうございます。
— MizuhoH「占いをまとう少女たち」2/26 (@_keroko) 2018年9月28日
博論からずっと、宗教における救済と暴力ということを考えています。
スピリチュアルはあくまで宗教の一つのカテゴリーにすぎない。その前提を踏まえた上で、例えばスピリチュアルカウンセラーの出会いで摂食障害が治った、気持ちが楽になった、というのをどう捉えるか。なかには、親が教団に所属してたけど、そこから自由になりたかったという人もいた。
— MizuhoH「占いをまとう少女たち」2/26 (@_keroko) 2018年12月19日
スピリチュアルカウンセラーの出会いで摂食障害が治った、気持ちが楽になった、というのをどう捉えるか。
もしかしたら、この方の個人的な言葉のチョイスではなく、「救う/救われる」という、本来なら宗教/スピに付随する意味が、ふたたび「現場」の手ごたえとしてあるのかもしれません。子宮系も「救われる」ためのものだし。ならやっぱり、現場見ないとだなあ…ほんと。
— MizuhoH「占いをまとう少女たち」2/26 (@_keroko) 2017年7月7日
子宮系も「救われる」ためのものだし。
上記に挙げたいくつかのツイートから、Mizuho.H 氏にとって、宗教における救済と暴力や、俗にいうスピリチュアルや子宮系によってもたらされる救いというものが、研究テーマの一つになっているのであろうと、私は推測いたしました。
因みに、最初に挙げたツイートの博論とはこちらであろうと推測しています。
- 身体性の解体と過剰--オウム真理教の「魅力」とは何か : 2007|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
https://iss.ndl.go.jp/books/R000000004-I8822933-00 - 橋迫瑞穂 | CiNii Research all 検索(ご参考まで)
https://cir.nii.ac.jp/all?q=橋迫瑞穂
また、宗教研究 85巻 「現代日本における宗教と暴力」と題した文章では、「オウム真理教とスピリチュアル・ブーム」「男性と女性」とを対比させ、オウム真理教が暴力事件を起こしたのに対し、どのようにして、スピリチュアル・ブームが暴力を回避しているのかを、簡潔に考察していらっしゃいます。ごくごく短い文章ですので、是非ご一読をお勧めします。(リンク先はPDF書類です)
- 『宗教』5巻4輯(2012年)現代日本における宗教と暴力 ー オウム真理教と「すぴこん」 ー
https://www.jstage.jst.go.jp/article/rsjars/85/4/85_KJ00008022346/_pdf
そこに、どのような救いがあるというのか
ただ、たとえば「育児放棄」や「奔放なセックス」につながる考えが救いになる女性もいるわけです。お金の問題も、なぜそのようなセミナーにお金を払う人がいるのか、ということを問う必要があります。それは、子宮系だけでなく、わたしたちの社会での、女性のあり方そのものへの問いにもつながります。
— MizuhoH「占いをまとう少女たち」2/26 (@_keroko) 2017年10月21日
「育児放棄」や「奔放なセックス」につながる考えが救いになる女性もいるわけです。
これだけでは、あまりに突拍子もなくて何のことだかさっぱりわからない方が殆どなのではないでしょうか?
そこで、私の知っている僅かな具体例を挙げてみます。
不食の人としてマスコミにも露出したことがあり、尿を使用した健康法等を実践している方の例です。
子宮委員長の影響で性に目覚め、風俗の仕事に就き、その事が配偶者に知られることとなり、離婚した。しかし、今までに逝った事がなく、子供連れで性感マッサージの様なものを受けたが思いは果たされることがなかった、という救い。
目の前で知らない男に胸を揉まれる母親を見る子供の気持ちよりも、「奔放なセックス」による母親の救いの方が大切なときもあるのかも知れない(知らんけど…)。
定期的に合宿を行っているらしいので、「奔放なセックス」による救済に興味のある方は御勝手にどうぞ…
まあはっきり言うと、女性向けスピは勝者の論理で、神聖なものを「理解できない外の世界」として設定することがないですよー。だから、自分の領域に簡単に組み込んでしまうという。女性中心のスピ市場とは、本当の弱者が必要とする「救い」や「癒し」とはちょっと違うんです。
— MizuhoH「占いをまとう少女たち」2/26 (@_keroko) 2017年4月16日
女性中心のスピ市場とは、本当の弱者が必要とする「救い」や「癒し」とはちょっと違うんです。
まあ、ぶっちゃけましたね。
しかし、上記で私が挙げたような例はスピリチュアル・ブームの中のほんの一部分にしか過ぎないということは付記しておきます。
「救われた人がいるから」理論
資料を集めている。違和感はあるけど、批判はしない。なぜなら、子宮系も彼女たちを救っているからだ。子宮委員長も例外じゃない。ならなぜ、どのように、という関心はある。ただ、それは、「正しさ」とはズレているんだろう。どうもそれが不興を買い、突然に叱られた。
— MizuhoH「占いをまとう少女たち」2/26 (@_keroko) 2017年9月26日
違和感はあるけど、批判はしない。なぜなら、子宮系も彼女たちを救っているからだ。
どんなに自分が「下らない」と思うものであっても、そこにこだわる人やそこである種の「救い」を得ている人もいるわけであって、それに対して土足で何かジャッジする前に、まず話を聞いてはいかがだろうかと思う。特にスピ系アンチ、そこのあなたですよ。
— MizuhoH「占いをまとう少女たち」2/26 (@_keroko) 2018年6月3日
どんなに自分が「下らない」と思うものであっても、そこにこだわる人やそこである種の「救い」を得ている人もいる
スピリチュアルで救われる人や助かる人もわたしのフォロワーにはいる。その人もまとめてあなたは侮辱した。何が芸術だ。そんなクソ野郎に芸術を語る資格なんかないね。スピリチュアルからは距離があるけど、スピリチュアル差別は許せない。
— MizuhoH「占いをまとう少女たち」2/26 (@_keroko) 2019年1月26日
スピリチュアルで救われる人や助かる人もわたしのフォロワーにはいる。その人もまとめてあなたは侮辱した。
夜更けだけど、今もわりと悶々としてるのが、例えば子宮委員長のセッションって一時間10万で、確かにひでえぼったくりだと思うんだけど、ヅカの引退セレモニーに100万かけたというツイ見て、どっちがマシかなあと改めて。バンドの追っかけもすごいお金かけるし。
— Mizuho.H (@_keroko) 2018年10月29日
考えようによっちゃ茶道の金の動きなんかえげつないわけだし。
— Mizuho.H (@_keroko) 2018年10月29日
実際にスピ系のスクーリングにハマる年齢層やジェンダーはどんなもんなんだろう。すぴこんがある意味「趣味仲間の発表会」という側面があったから、手習いみたいな感覚なんかな。
Mizuho.H 氏によると、スピリチュアルや子宮系に違和感を感じつつも、それらが「救い」をもたらしている以上批判はしないし、方方からスピリチュアルや子宮系へ向けられる批判には反発を感じるといったところでしょうか。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASQ6K4H1QQ66UPQJ001.html
「私が救われたから」理論を使えば、どんなカルト宗教も、疑似科学も、反社会的な見解も正当化できることに気がついていないのかな、例えば、「男性優位社会は必要。何故なら私が救われたから。私こそがエビデンス。」と言われたらどうするのか。 https://t.co/itW334y3wt
— 山口貴士 aka無駄に感じが悪いヤマベン (@otakulawyer) 2018年6月13日
しかし、「救われた人がいるから」ということなら、ベクトルの向きは違えど、医師や医療従事者に救われた人は、それこそ数多くいるわけです。
今回のテーマから外れるので一つ一つ例示はしませんが、私の観測範囲の中に限っても、Mizuho.H 氏から医療従事者に向けられた数々の暴言の中には目を覆いたくなるものが多々あります。
食品会社と違って医療は大きな権力で、時に人を殺傷し得るシステムでもあるという感覚があるからです。血液製剤事件、優生保護法下での手術etcetc。医療に対して無条件で信頼を寄せるのは常識的に無理なんですよ。 https://t.co/H4OAuNKt9L
— MizuhoH「占いをまとう少女たち」2/26 (@_keroko) 2019年1月16日
医療に対して無条件で信頼を寄せるのは常識的に無理なんですよ。
というインフルエンザワクチンに関しての Mizuho.H 氏のツイートから始まった論争では以下のように相手を恫喝しています。
ただあれですね、医療がスピリチュアルと極めて相性が良いのはあなたのような人がいるからなんでしょうね。今回のやりとり、月末の市民講座の資料にくわえさせてもらいますね。ではでは。
— MizuhoH「占いをまとう少女たち」2/26 (@_keroko) 2019年1月17日
医療がスピリチュアルと極めて相性が良いのはあなたのような人がいるからなんでしょうね。今回のやりとり、月末の市民講座の資料にくわえさせてもらいますね。
これは明らかに社会学とご自身の研究テーマを恫喝と嫌がらせ為の便利な道具として使用していますね。
仮説:劣等感の補償
Mizuho.H 氏が研究対象としている以上、スピリチュアル・ブームを生業とする人々やブームに傾倒する人々へ氏が中立的な態度を取ろうとするのは理解できます。しかし、スピリチュアル・ブームや反科学・反医療に対して懐疑的・対立的な人々に向けられる氏の常軌を逸した敵意は何なのでしょうか?
前回のアーティクルでは、ひょっとすると Mizuho.H 氏は自己評価が極端に低いのではないか?という仮説をたてました。
前回の仮説に次の疑問を付け加えたいと思います。
自身の自己評価の低さを、スピリチュアル・ブームに乗った女性達を敢て庇うことによって得られる有用感で「補償」してはいないか?
この仮説は考えすぎでしょうか?
ご自身の研究テーマを恫喝と嫌がらせの便利な道具として利用するぐらいですから、コンプレックスの補償として利用したとしても不自然さはないと、私には思えました。
- メサイア・コンプレックスについて | embryo
https://embryo-nemo.com/2390/
誰かの「力になりたい!」って気持ちは大切だけど、その気持ちの深い部分が何なのかは考えた方が良い。
— まるるんず@うつ病の人が楽になる語録 (@marurunzmemo) 2018年10月1日
相手が喜んだ姿が見たい・優しいと思われたい・下を見て安心したい・自分に酔いたい・恩を売って還元されたいetc.…
別にどれが正しいとかではなく、ここハッキリしないとお互いに不幸になる。
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