原始の海に最初の有機物が誕生した瞬間にまで遡れ!!

 

HPVワクチンと MizuhoH 氏 第6回

 

※この記事には2019年10月28日に追記された箇所があります。

寄り添いとパターナリズム

患者中心の医療の方法 - 出雲家庭医療学センター
出雲家庭医療学センター

90年代後半より、主に慢性疾患の患者を対象に『患者中心の医療の方法』(PCCM)という方法論が提唱されはじめました。 (具体的な内容は上図リンク先をご覧下さい。) 従来は医療者が患者に対してパターナリスティックな対応を取るのが一般的でしたが、インフォームドコンセント(説明と同意)や患者の自己決定権、つまり、患者の自立性を尊重するような医療のあり方にシフトするようになってきているわけですね。(参考: 設立趣意書 – 「病院の言葉」を分かりやすくする提案(アーカイブ)

※上図は2003年第二版のものです。2013年第三版の最新の図はこちらをご参照ください(会員登録を促すポップアップ有): 一目で分かるPCCM:患者中心の医療の方法 第3版 (One Pager) Patient Centered Clinical Method 3rd ed., Stewartら2013
ところで、上記の『患者中心の医療の方法』(PCCM)という方法論は、人権意識や個人主義の発達した欧米で誕生した方法論ですが、それより先んじて米国で一般診療での医師患者間の原則として確立定着したインフォームドコンセント(説明と同意)について、それをそのままの形で日本へ導入することの問題点を中村雄二郎は次のように述べています。

本来の父親的権威主義にあっては、他人を強制するときには、明確な責任主体としてそれをおこなうが、それに対して、日本的な【パターナリズム】にあっては、責任が【みんな】のなかに解消するようなソフトな仕方で強制がなされるからである。

とすれば、これは、パターナリズムというよりもむしろ【マターナリズム】、つまり母親的包容主義というべきものであろう。(中略)

このような【マターナリズム】の支配するところでは、患者は、重大な事項について自己決定するのが難しいことはもちろん、手術・検査・麻酔の必要性、危険性などについて病院などで主治医が用意する「説明・同意書」に記入することにさえ、違和感や抵抗感を感じる。(中略)

しかし日本の現状では、それと同時に、書類による定形化された言語表現による落とし穴から免れる工夫も、それに劣らず重要である。

中村雄二郎  臨床の知とは何か  1992:P.207-208
つまり、なんとなく周りの空気に合わせてしまう習性の日本人にとっての自己決定の難しさに言及した上で、いざ、目の前の書類に署名捺印という形で不慣れな自己決定を迫られると、戸惑い不安を抱いてしまうようになると指摘しているのだと思います。さらに、説明と同意が行われたことを示す同意書が形骸化する危険性をも指摘しています。
あるいは、中村雄二郎のいう【マターナリズム】の支配する日本において、ワクチンに拒絶反応を示すということは、ひょっとしたら、未成熟な自己決定の歪んだ発露であるのかもしれません。
『患者中心の医療の方法』(PCCM)というと、患者に寄り添った優しい医療という安易なイメージを抱きがちですが、冒頭で述べたように自己決定には患者自身にも責任が伴いますから、実は患者にとっては厳しい側面も持ち合わせています。
今まで受け身一辺倒だった患者は今後、医療における治療チームの一員としての役割を医療者と共に担う機会が増えていくものと私は想像しています。そのような価値観の変化を想定した時に、日本人であることと、キリスト者であることとの葛藤に苦しみながら、創作を続けた遠藤周作のように、西洋的な価値観を取り入れた日本と日本人にとっては、これからは医療者だけに依存するのではなく、かといって、欧米の劣化コピーではない日本風の患者の自立の道を新たに模索していく、その為の過渡期の困難に医療者患者共々立ち向かう必要があるのではないでしょうか?

時代につれて変化してきた医師と患者、家族のコミュニケーションのあり方について、新城さんは、自身が医師となった1996年から大まかに4つの時代を経てきたと分析している。

  1. 第1話 パターナリズムの時代
  2. 第2話 マターナリズムの時代
  3. 第3話 呪いの時代
  4. 第4話 自己決定の時代
医師と患者の対話:Dr. Takuya の 心の映像 (image) より

自分のことは自分で決める――。一見、理想的にも思える、医療現場での自己決定の尊重。しかし、新城さんは、その患者中心と思える思想にさえ、安住することに躊躇する。

新城拓也さん(4)患者と医療者のコミュニケーション : yomiDr. / ヨミドクター(読売新聞)
終末期医療における患者の自己決定権の問題に対して本当に人は自己決定をして人生を行き続けることができるのかという新城拓也医師の問いかけは、ワクチン接種を巡る自己決定権にも通ずるものがあるように思います。ただし、ワクチンには公衆衛生という側面があることは付記しておかなければなりません。
一方、いっけん、母親に寄り添い日本特有の【マターナリズム】を発揮している風な社怪学者の言葉の裏には、子どもの保護者の能力を不当に低く見積もって全面的に庇護する必要を訴える家父長的な、つまり、パターナリズムが見え隠れしているように、私には思えます。
もしかすると、自分が庇護者の役割を演じてみせることで、自分自身の心の奥深くに押し込んでしまっているものと向き合わなくても済むようにしているのかもしれない、と私には感じられました。
本稿では、天空に散らばる星々になぞらえて、『患者中心の医療の方法』では避けて通ることの出来ないナラティブについて検討してみます。
※心理療法におけるナラティブの例を挙げますが、患者の疾病を診断するための問診、患者を全人的に捉えようとする医療面接、心理療法における面接はそれぞれ、技法も目的も役割も違いますことをあらかじめお断りしておきます。

悪妻クサンティッペの弁明

Socrates and Xanthippeエンブレム・ブックの挿絵に描かれた、ソクラテスに尿瓶の尿を頭から浴びせるクサンティッペ(オットー・ファン・フェーン画、1607年)
クサンティッペとは、古代ギリシアの哲学者ソクラテスの妻で、悪妻として有名です。ウィキペディアから逸話を紹介します。
  • ある時クサンティッペはソクラテスに対して激しくまくしたて、彼が動じないので水を頭から浴びせた。しかしソクラテスは平然と「雷の後は雨はつきものだ」と語った。
  • 作家の佐藤愛子(彼女自身も、元夫に頭から水を浴びせたエピソードが有名)が『ソクラテスの妻』という小説を発表、後に「ソクラテスのような男と結婚すれば、女はみんな悪妻になってしまう」との旨を述べている。
Wikipedia contributors. “クサンティッペ.” Wikipedia. Wikipedia, 29 Jul. 2019. Web. 29 Jul. 2019.
クサンティッペはソクラテスに対して、激しくまくしたてたうえに、頭から水を浴びせたとも、尿瓶の尿を浴びせたとも言われています。
ヒステリーを起こして、まったく手が付けられなくなった状態の女性を具体的に思い浮かべることの出来る方もいらっしゃるかもしれないですね。
娼館を経営し自らも高級娼婦であったという説のあるアスパシアの元に通い、若い男性と付き合い、仕事もせずに町を徘徊し人々に議論をふきかけ、ハイロンパしていたソクラテスは、3人の子どもと妻への生活費もきちんと稼いではいなかったようです。となると、作家佐藤愛子の言うことにも一理あると感じる人も多いのではないでしょうか。
私はソクラテスの次の点に注目したいと思います。
  • 妻が激しくまくし立てたにもかかわらず、まったく動じないソクラテス
  • 頭から水を浴びせられたにもかかわらず、平然としているソクラテス
まるで、感情など持ち合わせていないかのように振る舞い、自分のことをお飾りや置物のような扱い方をする相手と生活を共にするにあたって、ついつい相手の気持ちを確かめるために言動をエスカレートさせていくか?あるいは、同居している赤の他人と諦めてしまうか?クサンティッペは前者だったのではないかという気がします。
もうひとつ、エピソードを紹介します。

刑務官がソクラテスに、本日、刑を執行することを伝えているのでしばらく待つように言いました。その伝達が終わったので門番は、われわれを中に招き入れました。そこには、ソクラテスと妻のクサンチィッペと彼の子どもたちがいました。クサンチッペは、われわれを見るなり大声で『この親しい方々があなたに話しかけ、あなたがこの方々に話しかけられるのもこれが最後なのですね』と泣き叫びました。ソクラテスは、『誰か妻を家に連れて帰ってくれ』と頼まれましたので、何人かが彼女を連れて出ていきました。

文字装飾はブログ管理人
パイドン – 『プラトンの四大著書を1時間で読む』アーカイブ
「国家が信じる神々とは異なる神々を信じ、若者を堕落させた」として、ソクラテスが死刑を執行される直前の場面です。肉体は滅びても魂は不死であると説くソクラテスは、死を目前にしても平然としていますが、まだ、幼い3人の子どもがいるクサンティッペにとって、伴侶の死を目前にして平然としていられるわけはありません。ソクラテスは嘆き悲しむ妻に直接話しかけるでもなく、赤の他人に妻子を連れ出すように頼んでいます。クサンティッペの人間くささとは対照的に、ここでもソクラテスの妻に対する冷淡さが際立っています。
クサンティッペの悪妻ぶりにソクラテスは冷淡に振る舞わざるを得なくなったのか?ソクラテスの冷淡さにクサンティッペは情動的な振る舞いをエスカレートさせていったのか?
「鶏が先か、卵が先か」悩ましいですね。

悪者探しの旅

ここで、ある代替療法家が某所で語ったHPVワクチン副反応様症状に対する症例を紹介します。
念のために、申し添えておきますが、いつも橋迫瑞穂氏が自身への批判をかわすためのスケープゴートとして引き合いに出している代替療法家とは別の人物です。
「みおたん」というのは、ツイッターアカウントのみおつくし氏のことです。相手を侮蔑するのに馴れ馴れしい呼称を用いるのは橋迫瑞穂氏の常套手段です。「鳥」というのはツイッターアカウント Sibyl_8379氏の事を指しているものと思われます。「柔整」というのが、いつもスケープゴートとして引き合いに出している代替療法家のことでしょう。
この時は、ヴィーガンが栄養障害を引き起こすエビデンスはないという橋迫瑞穂氏に対し、Sibyl_8379氏がビタミンB12不足を引き起こすという海外のエビデンスを提示。橋迫瑞穂氏が日本に限るという後出しでの条件を追加。等々、しているところへ、増田の管理栄養士であるみおつくし氏が Sibyl_8379氏を援護。という流れだったのですが、橋迫瑞穂氏から意味不明のスケープゴートを出されたことで、みおつくし氏は関連するツイートを削除してしまいました。
話がずれました。症例は大凡、次のようなものでした。(少し変えたりしています。)
  • HPVワクチン接種歴のある少女に不随意運動がでる
  • 医師の見立てでは、母親の過干渉によるストレス
  • 医師から紹介された代替療法家の見立て(恐らく徒手筋力テストを応用した検査の結果)では、ストレスの元は母親のようだ
  • 患者・父親の感想「やはりそうか」
  • 母親「ワクチンの副反応による症状です」
  • 代替療法家「 ┐(´-`)┌ 」
医師が何故、母親の過干渉によるストレスと見立てたのかはわかりません。また、徒手筋力テストを応用した検査の是非についてはここでは言及しません。
しかし、医療者や家族から子どもの症状の原因が自分にあると言われて、針のむしろに座らされているかのような母親像が浮かびます。
私は ババ抜き みたいだな、という感想を持ちました。
今、症状の出ている少女が持っているジョーカーを母親に取らせて、少女の症状が軽快したとしても、不本意ながらも娘のためにババを引かされた母親がいつか何らかの身体症状あるいは、ストレスからの行動化(例えば夫婦仲の悪化等)を引き起こす可能性はないのでしょうか?
仮に、少女の症状の原因が母親の過干渉によるストレスだったとして、(私の勝手な想像に過ぎないですが)母親が子どもに過干渉になったのは、父親が家庭を顧みなかったせいかもしれません。そして、父親が家庭を顧みないのは父親の生育歴に原因があるのかもしれません。そうすると、父親の両親に原因を求め、さらに父親の両親の両親とたどっていき…、人類が初めてアフリカの大地に二本足で立ち上がった時よりもさらに遡って、原始の海に最初の有機物が誕生した瞬間にまで原因を探ることが出来そうです。
もしかしたら、切り開かずに治療できたはずの傷を、メスで切開して、無理矢理膿を絞り出すようなことをしてはいないでしょうか?

「家族の気象学」

子どもが窃盗をする。会ってみると小遣いがないので盗んだといい、お父さんがお酒ばかり飲んで家が貧しいのだ、などということがわかってくる。これは「父親の酒癖をやめさせねばならない」と思って説得しても、父親はまったく変わらない。子どもの窃盗もおさまらない。「あの子の問題は 父親が悪いから仕方がない ということになってケリ。(中略)

短絡的に家族のなかの「誰が悪い」などという発想で問題が解決するのは、非常に簡単な場合である。

文字装飾はブログ管理人
「家族の気象学」 河合隼雄著作集第14巻 1994:P.273-274

父も母も子どもも、誰も悪くはないが、 「気象」が悪い ので家族に問題が起こることがある。(中略)

たとえば、夫は文字通り十年一日のごとく真面目に働いている。浮気はもちろん、帰途に寄り道さえしない。六時十五分になると、ちゃんと帰ってくる。彼は脇目もせず妻子のためにはたらいている。(中略)

ところが、彼が四十歳をこえた頃、妻がどうしても離婚したいと言う。(中略)彼のそのような何の「悪い」こともない態度によって、妻は人間としての自由を奪われ、束縛されているように感じるのである。

文字装飾はブログ管理人
「家族の気象学」 河合隼雄著作集第14巻 1994:P.274,277
上記は、ユング派の心理学者である河合隼雄の著作から引用しました。人生のイベントで起こる家族の波風を晴れや雨、台風などの天気になぞらえて表現しているのですが、局地的な天気というよりは天気図で見るような俯瞰的な天気の方が近いかもしれません。
父親にしろ、母親にしろ、それまで生きてきた中で抱え込んできたコンプレックスやトラウマを持ち込んで家族を形成してきていたのですが、子どもが思春期になり自我が芽生えてくると、それまでかろうじて保っていた家族の力動関係のバランスに変化が生じ、感受性が高く一番弱い存在である子どもに身体症状という形で家族の力動関係の変化が顕現化することはあり得るのではないでしょうか?
解決策はその家族ごとに手探りしながら、創造していくしかないはずなのですが、時に創造には困難や苦しみが伴うことがありますから、そのようなときに、なんちゃってカウンセラーのチープなキャッチコピーに心引かれたり、寄り添った風の社怪学者の言葉に心引かれる方もいらっしゃるのでしょう。
しかし、解決への道はそれぞれが人生を生きていく中で切り開いていくしかないので、ドグマ化された安易なキャッチコピーは気休めにはなっても解決には繋がらないと思います。
安易なキャッチコピーとは、例えば…
子宮で考えたことは「本当の自分」で、頭で考えたことは「偽りの自分」
ある場面では、このキャッチコピーに救われることもあるかもしれません、しかし、また別の場面では絶好の現実逃避の言い訳になり得ます。

週刊誌「FLASH」に
子宮系女子の記事が掲載されています。

最後の女性大学講師の一言が、
「ドンっ!!」と肚を突くものでした。

肯定されるとか、
背中を押されるとか、
それをはるかに超えたところの
力強い言葉でした。

『色物の流行とは思わない方がいい(一部)』

私、感動しました。

私、教祖です。週刊誌FLASH掲載。
子宮委員長はるオフィシャルブログ「子宮委員長はるの子宮委員会」(アーカイブ)
橋迫瑞穂氏は、子宮委員長の擁護として切り取りをされていると主張されていますが、子宮委員長本人が『肯定されるとか、背中を押されるとか、それをはるかに超えたところの力強い言葉でした。私、感動しました。』と受け止めているのですから、Sibyl_8379 氏による子宮系女子の記事の感想はデマを流布しているわけでもなければ、悪意ある切り取りですらなく、何らおかしな点は無いでしょう。
それに対して、何の脈絡もなく、突然持ち出された牟田和恵先生のことというのは、明らかに牟田和恵氏が自民党の杉田水脈衆院議員を名誉毀損で提訴したことを暗示しています。下記のツイートが示すように、Sibyl_8379 氏に対して訴訟恫喝している訳ですね。ペンと学問で飯を食っている人間が揃いもそろって自分たちの記事を巡って、人の褌で読者を訴訟恫喝()。橋迫瑞穂と片田直久はいい加減、恥を知ったほうがよろしいでしょう。ひょっとして、お二方とも、今のお仕事は向いていらっしゃらないのではないでしょうか?

子どもは成長してゆくとき(中略)自分でもおさえ切れない不可解の力が湧き上がってくるのを感じる。それを何でもいいからぶっつけてみて、ぶつかった衝撃のなかで、自らの存在を確かめてみるようなところがある。そのとき(中略)親の壁にさえぎられ(中略)くやしい思いをしたりする。しかし、そのような体験を通してこそ、子どもは自分というものを知り、現実というものを知るのである。

いわゆる『理解のある親』というのは、このあたりのことをまったく誤解してしまっているのではなかろうか。(中略)

理解のある親が悪いのではなく、理解のあるふりをしている親が、子どもにとってはたまらない存在となる(中略)

自分の生き方に自信がないことや、自分の道を歩んでゆく孤独に耐えられないことをごまかすために、そのような態度をとるのではないだろうか。

河合隼雄 「理解ある親」をもつ子はたまらない こころの処方箋 1992:P.25-27
上記は、表面的に良い人を演じ取り繕う事が、相手のためなのではなく、実は自己防衛からくるものなのではないかという指摘ですが、親と子の関係だけでなく、夫婦関係や、わかった『ふり』をしている、なんちゃってカウンセラー『等』と、そのカモさん達にも言えることだと思います。
人と人とが対峙する時に、自らが考えることを放棄し、葛藤から逃避し、どこかの誰かが書いたマニュアル通りに盲目的に従ってみようとすることは、対峙しようとしている相手から、そして、自分自身からも逃げているからなのかもしれないですね。

ジョージ・フランクリン事件

1990年代のアメリカで、 ジュディス・ハーマン のPTSD(心的外傷後ストレス障害)の主な原因が「抑圧された記憶」(幼児期の親による性的虐待)であるという理論を背景に、催眠療法によって抑圧された幼児期の記憶を呼び覚まし、成人になった子どもが何十年も前の性的虐待について親を告訴するという事例が相次いで起こりました。
ジョージ・フランクリン事件とは、自分の父親が友人をレイプして殺害する現場に立ち会った記憶を抑圧していたという女性が、成人してからカウンセリングを受けているうちに記憶が甦り、その証言を元に父親が殺人罪で逮捕されたというものです。
ウィキペディア英語版から、記憶について研究している認知心理学者エリザベス・ロフタスの少し長くなりますが、該当部分を機械翻訳に通したものを引用します。

1990年初頭、ロフタス氏の研究の焦点は、これまで起こったことのない出来事すべてについて、誤った記憶を埋め込むことが可能かどうかを調べることに移った。この新しい研究の原動力となったのは、ロフタスが1990年に専門家の証言を求められた事件であった。

この事件のユニークな点は、ジョージ・フランクリンが殺人罪で起訴されたことであるが、彼に対する唯一の証拠は、彼の娘アイリーン・フランクリン=リプスカによって提供されたものであり、彼女は、20年前にアイリーンの父親が幼なじみのスーザン・ナソンを強姦し殺害した記憶を最初は抑制 (抑圧:ブログ管理人) しており、つい最近治療を受けてそれ (抑圧された記憶:ブログ管理人) を回復したと主張した。

ロフタスは記憶の可鍛性 (可変性:ブログ管理人) についての証拠を示したが、フランクリン=リプスカが主張していた特定の種類の記憶についての研究を知らなかったことを認めなければならなかった。フランクリンは有罪判決を受けた(1996年に彼は上訴で釈放された)。

当時、多くの人々が、回復したトラウマの記憶に基づいて、告訴していた。

ロフタス氏は、このようにして回復した記憶の一部が、当時セラピストが使っていた暗示的なテクニックによって作られ、自己啓発本の中で奨励されていた偽の記憶なのではないかと考えた。

(中略)

ショッピングモールで子どもの頃に迷子になったという偽の記憶を植え付けることを試み、偽りの出来事について話し合うことで、一度も起こらなかった出来事の「メモリ」 (「記憶」:ブログ管理人) を作り出せるかどうかをテストした。

(中略)

実験対象者の平均1/3が、子どものころに実際には経験したことのない、非常にトラウマ的な出来事や不可能な出来事を経験したことがあると確信できるようになったという。ロフタスの研究は、法廷で提出された回復された記憶の証拠に対抗するために用いられ、その結果、裁判で使用される回復された記憶による証拠に対するより厳しい要件と、確証を得るためのより大きな条件となった。

さらに、回復した記憶に関する証言に基づく起訴をもはや認めていない州もあり、保険会社は回復した記憶に関する医療過誤訴訟に対してセラピストに保険をかけることに消極的であった。

イノベーティブな機械翻訳 による翻訳(一部ブログ管理人による修正有)
Wikipedia contributors. “Elizabeth Loftus.” Wikipedia, The Free Encyclopedia. Wikipedia, The Free Encyclopedia, 7 Sep. 2019. Web. 13 Sep. 2019.
現在では、催眠療法を用いて、ありもしなかった幼児期の性的虐待を捏造するようなことは支持を失っています。「悪者探し」をして、悪者を排除すれば問題は解決するという素朴な思想は、医療でも対症療法は駄目で病の根本原因を取り除く必要があると主張する人々にもみられます。しかしそれらは、あまり効果の期待できないサプリメントの類いをなるべく長期間購入させるためのセールストークだったりします。
認知心理学者エリザベス・ロフタスは2016年にジョン・マドックス賞を受賞しています。

「認識 (ジョン・マドックス賞受賞:ブログ管理人) は良いことです」とロフタス氏はガーディアン紙に語った。「死の脅迫、侮辱、訴訟、私をクビにするために手紙を書こうとする人々など、私に起こったいくつかの出来事を経験した後、このようなこと (ジョン・マドックス賞受賞:ブログ管理人) が起こることは非常に重要です。」

ロフタス氏はすでに憎悪メールと殺害の脅迫を受けていたが、記憶が抑圧されている証拠(抑圧された記憶が証拠:ブログ管理人)だと主張する裁判をめぐり、激しい法廷闘争に巻き込まれたとき、シアトルのワシントン大学を解雇するキャンペーンに耐えた。ジェーン・ドウは、子供の頃に離婚と親権の争いに巻き込まれた母親を虐待で訴えていたが、ロフタスの調査は、虐待がまったく起きなかった可能性が高いことを明らかにした。

イノベーティブな機械翻訳 による翻訳
We can’t let the bullies win’: Elizabeth Loftus awarded 2016 John Maddox Prize The Guardian
幼児期の親による性的虐待がPTSDの主な原因であると唱えた ジュディス・ハーマン氏 は、フェミニストだそうですが、エリザベス・ロフタス氏は「幼児と女性に対する犯罪を擁護する学者」というレッテルを貼られて攻撃されることになったということです。
私は村中璃子氏のジョン・マドックス賞受賞報道の後、過去の受賞者の中にエリザベス・ロフタス氏の名前があることを知り、コンステレーションという言葉を思い浮かべました。

本当の目的

村中璃子氏はウェッジでの子宮頸がんワクチン問題を扱った記事や著書10万個の子宮等により、それまでHPVワクチンの副反応であると報道されてきた症状の原因が、実は心因性の可能性が高いという主張を掲げ、薬害説一辺倒だった世論の転換点となった人物です。
しかし、村中璃子氏は批判に晒されることになります。
反ワクチンや陰謀論などの取るに足らない批判に混ざる形で、村中璃子氏へ向けられた反発の背景にあるのもののひとつに、母親心因説への抵抗があるような気がしてなりません。
なかには、あまりにも強い反発心のあまり、むしろその人の異常な言動が、却って母親心因説を強く印象づける結果とになってしまっている事にすら気づいていない気の毒な方も見受けられました。
以下のツイートから始まるスレッドでは、橋迫瑞穂氏がHPVワクチンによる副反応とされている症状に対して、時折、対話の相手を侮蔑する言葉を巧妙に織り込みながら、頑愚なまでに心因性であることの悪魔の証明を要求したあげく、自らの過ちを指摘された途端に無様に言い訳がましい捨て台詞を吐きながらトンズラする様子が記されています。
このスレッドの全てのツイートをここに埋め込んで表示させることはあまりにも冗長過ぎますので、内容については各自でスレッドを展開してお確かめ下さい。下段にはアーカイブもご用意してあります。
ここで、心因性の証明は原理的に不可能なので、「身体性である」という証明の方が求められます。としていますね。
因みにですが、集団を観察した結果と同じことが、個人レベルでも言えると考える誤りについて、以下のブログで解説されていますので、ご一読をお勧めします。
@_keroko
画像はアーカイブへのリンクです。
心因性であることが証明できなくても、両群を比較して症状を持っている人の数に差が無いのなら、上乗せされる疾患概念(ここではHPVワクチンの副反応としての症状)は存在しないだろうと推測できるということでしょう。
「上乗せされる疾患はない」つまり、HANS(HPVワクチン関連神経免疫異常症候群)等という新たな疾患概念を作り上げる必要はないわけですね。では、HPVワクチンによる副反応だとして心身の不調を訴える人々に対して、残る既存の疾患概念で一番妥当だと思われるのはいったい何でしょうか?
でもやはり「心因性である」は言えません。
だから、スレッドの冒頭で心因性の証明は原理的に不可能と、simbelmynë 氏が断っているのに…、執拗に悪魔の証明を求めて、橋迫瑞穂氏は一体何がしたいのしょうか?
実際にHPVワクチンの副反応に苦しむ被害者が例え少数でも存在することを認めることと、大多数の副反応とされている症状を訴える人々が、実は既存の身体表現性障害等の心理的因子が深く関わってくる疾患であろうと推測することは、なんら矛盾しないはずなんですが、ここまでかたくなに心因性であることに拒絶反応を示すのは、きっと、被害者救済や薬害防止とは別の理由があるからなんでしょうね。
母親心因説が気にくわないからといって、そもそも証明することの出来ない心因性の証明が出来るまで、心因性疾患の患者は永遠にほったらかしにすべきだとでも言うのでしょうか?
また、橋迫瑞穂氏が、HPVワクチンの積極的摂取勧奨について、副反応とされる症状とワクチンとの因果関係が明らかでないにも拘わらず、むしろ、ワクチンとの因果関係については否定的な調査結果が出ているにも拘わらず「完治するレベルの治療法が確⽴されるまでは、再開に賛成しない」と表明したことは、決して忘れてはいけません。
初診で確定診断とまではいかなくとも、可能性の高そうな疾病を想定して診療を重ねながら経過観察を行い、時間の経過と共に診断名が変わっていくことはありえると思うのですが、こちらの方がお住まいの異世界ではそうではないようです。
@nukorism
はあ?この御仁の存在するパラレルワールドではそうなんですねぇ。
ぶぁっかじゃねぇの?んなわけねぇだろっ!!
いちいち、会話に侮蔑の表現を織り込むだけでは飽き足らず、裏では同時進行で相手を犯罪者呼ばわりですか。私の住むこの平行世界では、たいした根拠もなく他人を犯罪者呼ばわりすると、場合によっては名誉毀損で告発されることになります。
お ま ゆ う
@das_ist_nicht__
画像はアーカイブへのリンクです。
私はこれまで、臨床的に家族の中から悪者探しをすることの不毛さを説いてきましたが、それは家庭の中に、子どもの身体症状の原因が無いという意味ではありません。
しかし、村中璃子氏が広く世間にアピールするための方法論として、時には扇情的な表現を用いる必要があったのかもしれませんが、氏へ向けられた批判をすべて黙殺してしまうのではなく、批判や抵抗感を表明した言葉の中からも、是非、玉を見つけ出していただきたいな、と願ってやみません。

コンステレーション *記憶が星座のように輝きながら繋がる*

*「WILL」歌:中島美嘉、作詞:秋元康、作曲:川口大輔 2002年

ユングの重要な概念の一つに、布置(ふち、コンステレーション、Constellation )があります。布置とは、本来は「星の配置」「星座」を意味する言葉です。一見、無関係に見える夜空の星の配置を、全体として(星座として)見ると、何らかの意味を持ってくる、そして神話を想像する…。

そこから、心理臨床では、クライエントの問題を考えるにあたって、その人個人にだけ着目するのではなく、 クライエント(主星)を取り巻くさまざまな人間(星)の配置全体に目を向けることで、クライエントが直面している問題の意味・物語を読み解こう とするのが、布置という考え方です。

文字装飾はブログ管理人 所長だより025 「布置」 | 鳴門教育大

大切なのは、全体的な事象としての意味を考えることです。

一昔前に、“子どもの問題の多くはお母さんに原因がある”とする「母原病」などという言葉が流行ったことがありましたが、母親という星だけを見て本人(主星)との因果関係を考えるような発想は、布置という考え方の対極にあるものです

文字装飾はブログ管理人 所長だより025 「布置」 | 鳴門教育大

河合先生は、「・・・すれば・・・となる」というような、現象を因果律によって理解する近代科学の考え方は、心理療法においてはあまり有効ではないと指摘されています。そして、 因果律的思考はしばしば「悪者探し」に終わり 、悪者探しは単に 「自分の責任ではない」という責任逃れとして用いられる ことが多いと述べておられます。

所長だより025 「布置」 | 鳴門教育大
悪者探しは単に「自分の責任ではない」という責任逃れとして用いられる とはどういうことかというと、 HPVワクチン接種歴のある少女の症状の原因を母親に求め 、母親に自覚がないから治らないと暗に治療者としての責任を母親に転嫁した事例や、 盗み癖のある子どもの父親が酒癖が悪い。 あの子の問題は父親が悪いから仕方がない と父親のせいにして担当者が自らの責任を放棄してしまった事例 がまさにそれに該当するでしょう。
ひとつひとつには因果的関連性のない偶然の出来事の連なりに、運命的な意図を感じることがあります。そこに人は物語を見いだすわけですね。
例えば、村中璃子氏とエリザベス・ロフタス氏の間の共通項。片やPTSDの原因論、片やHPVワクチンの副反応とされた症状の心因説。安易な悪者探し(捻じれていますが…)。圧倒的な世論に逆らって真実の声を上げようとし、スラップ訴訟に巻き込まれた両氏。犠牲者が出ることをもいとわず、自らのイデオロギーを押し通す為に真実に逆らい圧力をかけようとするフェミニスト達。
フェミニストがありもしないセクシャルハラスメントを捏造し、ストーカーというレッテルを貼った上に、提訴をちらつかせて脅迫・強要を行った事例はこちらにも記載しています。
勿論、村中璃子氏とエリザベス・ロフタス氏の両者の事例の間には違いもあります。しかし、その違いですら、本稿の冒頭で述べた中村雄二郎のパターナリズムとマターナリズムに見られるような欧米と日本との間の価値観の相違を象徴しているような気がしてなりません。
神話やおとぎ話の登場人物には、それぞれの役割がありますが、クライエントが自らの人生をそうした物語の登場人物になぞらえてみることで、自分自身の人生の役割を再確認したり、今ここで生きていることの意味を感じることが出来るようになるのだと思います。
どのような人生を生きていたとしても、そこに意味を感じられることが、その人にとっての充足感や幸福感に繋がることは言うまでもないでしょう。
また、先に解決策はその家族ごとに手探りしながら、創造していくしかないと記述しましたが、河合隼雄は次のようにも述べています。

青年期において年齢が低くなるほど、ここに述べたような問題提起とか意味の探求などということは、本人には何ら意識されることなく、本人としてはつまずきの現象のなかでただ困り果てていることが多い。このような青年に「意味を見出せ」などといってもはじまらない。われわれ大人としては、彼をまず実際的に立ち直らせるように、慰めたりしてやらねばならない。しかし、そのような実際的援助に終始していても、われわれ自身が意味を見出そうという姿勢をもっていると、青年たちは自分が単純に悪者扱いをされたり、軽蔑されたりしていないこと、そこに何らかのプラスの意味が内在しているらしいことを感じとって、無用の悔恨に悩まされることなく、早く立ち直ることができるのである。

「青年期のつまずき」河合隼雄著作集第14巻 1994:P.160-161
HPVワクチンにまつわる騒動によって、不登校児等の要因のひとつに、今まであまり認識されていなかった起立性調節障害や身体表現性障害があることがフォーカスされるようになりました。医療者はこの騒動に便乗してプロパガンダに利用しようと建前や綺麗事を並べ立て圧力をかけてこようとする連中に屈することなく、HPVワクチンの安全性について広くアピールしていきながら、個々の患者に対しては現実的な対応をするべきですし、患者家族の中で悪者探しをするようなことなく、頭の片隅にでも目の前の患者のナラティブという事を意識していただければと願ってやみません。
ここで、代替療法を行っている方々に申し上げておきたいことがあります。
公的な医療系免許すら持たない有象無象は論外として、免許を持った医療専門職であるならば、自分の専門領域はわきまえているはずです。自分の患者に専門外の心理療法の必要性を感じたならば、適切な心理専門職を紹介するのが本当のプロの仕事でしょう。
いち民間資格に過ぎない臨床心理士の資格試験の受験資格に院卒という高いハードルを課したのは、心を扱う仕事にはそれだけの知識と経験が必要であるという職業上の矜恃だけでなく、人間の心に対しての拝跪の念の表出があったはずです。
翻って、本来、ボディアプローチが主な領域であるはずの手技療法家が、請け売りの稚拙なキャッチコピーを唱えながら専門外の患者の心理面にまで図々しく治療的介入を試みようとするのは、神聖な患者の心にズカズカと土足で踏み込んでいくようなものではないですか?
カウンセラーの心がまえ 原因を探求しない

幼児の外傷的経験を探し求めても、それを見つけることはきわめて困難なことであろう。そのような困難な仕事に、多大な時間と労力を費やすよりも、現在の問題の調整や対処にその精力を注いだ方が、はるかに賢明なことであろう。

問題の原因がつきとめられたとしても、それにもとづいた忠告や助言を、クライエントがそのまま実行してくれるという保証も、どこにもないのである。また原因の探求が、いつでも正しく行われるという保証も、今のところ全くないのである。

さらにカウンセラーが、原因を探求し、その解決の方法を考えていくならば、クライエントは、問題対処の責任または主導性をすっかりカウンセラーに委ね、自分で責任をとることができなくなるであろう。

伊東博 新訂・カウンセリング 1981:P.303

市民社会フォーラム・にょろ氏

@hyoloro
HPVVフォーラム 医療側に必要なのはHPVVによる副反応という立場の医師との原因論や有効性の議論よりも、社会学、社会心理学、ジェンダー問題からの批判なのではないかと思ったり。
寝言は寝て言えっ!!
 
 
 
*以下、2019/10/28 に追記
貴重なご意見を賜りありがとうございました。今後のブログ運営に反映させていただきます。
対人援助をなさっている方の中には、奉仕の精神の裏に、実は気づかないうちに自身の持つ欠落感を埋めるために相手からの感謝や愛情が返ってることを期待していたりすることがあります。そうした奉仕の結果は必然的にエゴイスティックなものになりがちです。
@FzZqv6C150TbRbd
https://twitter.com/FzZqv6C150TbRbd/status/1026026259866824704 https://twitter.com/FzZqv6C150TbRbd/status/1026025374436622337
記録を取っていなかったため、また、2019年10月28日現在当該アカウントのツイートが非公開設定になっていて閲覧することが出来ないため、記憶だけが頼りの記述ではありますが、『治療の一環として親子を引き離す』といったニュアンスのツイートがあったかと思います。
追記終わり
 
修正履歴
2019年10月28日
代替療法家のツイートのスクリーンショットを追加
ご指摘ありがとうございました。
 
 
つづく